川崎仙台薪ストーブの会:神仏のご加護と伐採地・小屋の変遷partII

曇 台風16号の影響は夕方以降との予報


今日もどうせ賽の河原の石積みの片づけからと思っていたらナント!道を埋めていた玉切材が下されて土場に積み上げられていました。嫌な出来事ばかりで神も仏もない今の世と思っていましたが、薪の会に限っては神仏がお助けくださっているようです。いや、賽の河原だからお地蔵様かも。昔神様仏様稲尾さまというフレーズがありました。齢がしれるか。


さすが奥に行くとまだまだごろごろしていますが先が見えてきたかな?でも見えているのは谷底だけで尾根筋にはまだまだ沢山あるはずです。楽観は禁物。


で、今日は手分けして玉切材を沢筋からあげる、それをクローラで土場に運ぶ、80cmを40cmに玉切、22tで薪割り、それをクローラで道に運ぶ、軽トラで理事長宅脇の薪棚へ収納等々。助っ人もいれて15名、この人数だと仕事が進みます。薪棚がどれもほぼ満杯になりました。昼時風景、台風に備えてターフをたたむ。

福田町の仮設住宅街の集会所「みんなの家」へok氏が薪を届けるとのこと。杉をご希望だそうです。ソーなんです。杉ならすぐ着火して集会終了時にはそろそろ燃え尽きてくれるでしょう。なにかけちをつけないといけないから「針葉樹は良くない」的なことをモノの本に書く手合いがいてそれを信じる人も多いようですが、要は使い方です。私は杉の端材を小割にして焚付けに重宝しています。

以下は前々回の昔話の続きです。
忘れることのできない3/11ですが、薪の会の伐採地に関しては殆ど無傷と云って良いでしょう。会員各個人はいろいろな程度に影響を受けたはずですが、会としては何もしなかったようです。Lumberjackclubの当時の登録者は15,6名でその中の床上浸水の被災者も連絡がついた時点で既に単純肉体労働を必要とする時期は過ぎていたとのことで力にはなれませんでした。

 被災した方々には申し訳ありませんが、震災にもかかわらずこの2011年は薪の会に様々な進歩がありました。理事長宅傍の薪棚が完成し、22t薪割機が導入され、そして極めつけは動力と軽架線を利用したエンドレスターナー方式(要するにスキー場のリフト)による玉切材の搬出方式の確立でしょう。
最初の架線(後掲グーグルアースでの#1(2011/7)こそ傾斜の余りないルートに張ったので競争心をかきたてて人力で対抗しようとした人もいましたが、

次の急斜面の#2(2011/10)では流石無謀な戦いを挑むひとは現れなかったようです。

 更に南側尾根にもつけ替えられました(#3, 2011/11)。この斜面には今も未搬出の材が沢山放置されているとのことでまだまだ働いてもらわなければなりません。




 そして2012年4月5-6日の爆弾低気圧で倒木累々、小屋は跡かたもなくなり、(2012/4/8)薪棚の屋根は吹き飛ばされました。下はその直後のグーグルアース写真で、解像度が格段によくなっています。
 風倒木処理がすんだあとは小屋や薪棚が現在位置に再建されて今につながります。また、翌年には三島学園や烏帽子スキー場へとエスカレートしていった出稼ぎも爆弾低気圧による別荘地の風倒木処理を頼まれたことが始まりでした。最新のグーグルアース像は7月21日のブログにあります。
 大震災から3年半、爆弾低気圧からでも2年半、記憶はだんだん薄くなっていくものですね。