里山保全と薪:川崎仙台薪ストーブの会の紹介::
我家の実生のコナラの紅葉です。こんな季節になりました。親は同じでしょうに、真っ赤なものもまだ緑のものもあります。
今日も六方山別荘地に出稼ぎ。昨年4月3,4日の爆弾低気圧による倒木(桜)の処理。一本はほぼ完全に倒れ、2本目は引っかかっています。
倒れた木を玉伐りした後ひっかっかた木についてああすればよい、こうしたほうが良い、と鳩首協議。
今年度は三島学園から始まって青根の別荘地、烏帽子スキー場と出稼ぎばかりしていたような気がします。当ブログを見直してみると、4月以来の27回のうち、本業は9.5回、出稼ぎが17.5回でした。0.5回は腹帯と出稼ぎ先に2手に分かれた時のことです。
この薪ストーブの会について昔所属していた高校の山岳部のOB会報に先日寄せた紹介文を以下に載せます。
戦後かなりの間東京の下町ではガスが復旧せず、燃料は薪でお風呂を沸すのは子供の仕事で火を燃すのが大好きになりました。仙台に居を構えることになった20年前、私が家人の友人の女性建築士に出した条件はただ一つ、薪ストーブを置くこと、でした。それ以外は2人で適当に決めろ!
最近、身近な再生可能エネルギーとして、あるいは生活に和らぎを求めて、薪ストーブが注目を浴びているようです。山岳部OBの方にはご自宅で、あるいは山小屋で火を楽しむ人は多いのではないでしょうか。そうした方はご存知なように、薪を専門店やホームセンターで購入するとガスや石油よりずっと高くつきます。
一方では薪炭林としては不要になり手入れされなくなった里山はナラ枯れ等による荒廃が問題とされています。樹を伐る≡自然破壊と目を剥く人もいますが、里山はつい最近まで伐採、萌芽更新(ひこばえが大きくなる)を繰り返すことによりその機能・景観が維持されてきたのです。
この二つの問題を解決する一石二鳥の方法が薪を必要とする人が里山を伐って自分で薪を調達することですが、それには組織と技術が必要です。そこで私が会員のNPO法人「川崎(宮城蔵王の麓の町)仙台薪ストーブの会」について紹介させて頂きます。
この会では川崎町の町有林を払下げてもらい、メンバー(実働約50人、大まかに週1回、十人前後が活動に参加)がそれぞれが持つ技術を提供して薪作りをしています。架線を張って材を下す技術を持つ人、チェーンソーを駆使して大木を思う方向に伐倒できる人、間伐材と多少の金物があれば小屋掛けをしてしまう人等々、いろいろな才能を持ったひとがいるものです。勿論アシストする人も必要不可欠です。
薪ストーブを持たず薪など要らない会員も少なくありません。自然の中で体を動かすことが大好きな多彩、多才な人材を集めることができた、というのがこの会の成功の最大の理由でしょう。人は石垣、人は城、です。興味をお持ちの方がおられたら”saruhanatree”で検索してみて下さい。主観的に活動報告をしています。
毎年1町歩ほど伐採し、2,30年後には一回りして元に戻るとのことですのでそうなるかどうかはあの世から見守りましょう。
昭和30年代、尾瀬などで林道終点付近に突如トラックのボンネットが現れ、上を見ると木材の束が架線にぶら下がっていた、ということがよくありました。トラックの動力を使ってエンドレスタイラー方式(図参照)で伐採した木を下していたのですが、当時はこんな名前は勿論知らず、ましてや半世紀後に自分がその真似事をするなどとは夢にも思いませんでした。」
この「樵の真似事」を「大人の遊園地」と形容した人がいました。皆楽しんでいます。