川崎仙台薪ストーブの会:自然保護と開発

無風快晴 願ってもない日和

三島学園への出稼ぎもそろそろ最終段階。咲き終わってから伐ることにしていたサクラをチルホールで引っ張りながら伐倒しています。これも予定の方向に倒れ、成功。

 ところで近くの街路灯の柱にこんなビラがくくりつけられていました。日陰と落葉に悩まされていたごく近隣の住民からは“すっきりした”とエールをおくられましたが、まあ、反対の人もいるだろうというのは“想定内”です。

私達としては「燃やす為だけに」伐っているのではなく、「学園は教育施設を作るために整地したい」→「木はある程度伐らなければならない」→「普通の業者がやれば伐った木は産廃として処理される」→「私達は熱源として利用するので(大きく云えば)化石燃料の消費を少なくできるし、労働の対償は放置されている里山に手をいれて再生させよう、という私達の活動の資金になる」というわけで何重にも環境に貢献しているつもりです。

 それに、雑木林を惜しむのならまだ分かりますがヒマラヤ杉って日本で貴重なんですかね?あの高さ(最高22m)だとほっておけば春の嵐や台風で倒れる危険性が増すばかりです。東北大片平キャンパスにヒマラヤ杉の列植があります。3階建の屋上より少し高いくらいですので10m強でしょうか。その高さに保つために7,8年?おきくらいに芯をつめてもらっていました。相当な費用がかかっていることでしょう。

 そして“ハゲ山”という言葉も間違っています。高温多湿な日本では普通の所ならすぐ草が生え、木も生えてきたり切株から萌芽したりするのでハゲ山には絶対なりません。40年近く前に初めて渡米した時飛行機から眺めて、日本では人が居ないところは緑なのにアメリカ中西部では人が住んでいるところだけ緑がある(人工的に灌漑したところだけ草木が生える)のを見てちょっとしたカルチャーショックを受けました。ハゲ山とはそういうところをいうので、更新のために一時的に伐採したところはハゲ山ではありません。

 “自然破壊を憂うる(「ううる」でしょうか「うれうる」なんでしょうか?)”、文語だったら憂ふ、口語だったら憂えるでどちらでもないと思ったのですが、日本語って難しい!どうおかしいかの説明ができません。

 雑音はさておき、春のうららで一休み。至福の時です。手前にあるような手首(誰の?)より細い“シバ”はまだまだ沢山残されています。放置するのは勿体ない。