川崎仙台薪ストーブの会:疑問

2週間にもならぬ不在でしたがlumberjackclubを見るとその間にもいろいろ活動が行われたようです。今日は久しぶりの山仕事。国道から見える薪棚の整備と既伐倒木の搬出等。集材機を操作しているのはまだ見習い?の某氏です。下しているのは白炭のため?
 毎日昼間からこんなところ(これはイタリアのアルベロベロという世界遺産のとんがり屋根の家の地下のワインバーです)ばかりに入り浸って時間を過ごしていたので頭の中は空になり、今日は玉切材の数え方は間違えるしカメラを落としたと騒いだら車の中に転がっていたり。
 昨年も感じた疑問ですが、ギリシャ、ローマの遺跡というと周りは砂漠とは言えないまでも灌木に毛の生えたくらいの植生しかありません。写真はトルコのエフェソスという遺跡です。大理石は色によって産地が特定できるそうですし、貴重な構造材としての木材もそれなりに運んできたのでしょうが、毎日の市民生活を支えるエネルギー(薪)はどこから来たのでしょう。地元の大学卒という観光バスガイドに聞いたら石炭も使っていたとのことでしたが、何十万という市民の煮炊きや暖房に当時十分に供給できたとは思えません。都市−環境破壊−乾燥化というお決まりの道筋を辿ったのでしょうか。でもこの都市は港が次第に土砂で埋まって衰退し、最後に地震が止めをさしたとのことですが、「遺跡」となったあとも植生は貧しいままです。
 もう一つの疑問は暖炉です。ベニスの元首邸にはこんなものが各部屋にありました。これにはロストルっぽいものがありますが何もないほうが多数でした。奥行はないし床の上に直接おいて燃えるものでしょうか。因みに、煙道は全部漆喰でふさがれていました。
 右はクロアチアのドゥブロブニックの民家の煙突です。どんな歴史でこんな形になったのか。そして今でも使われているのか。ちょっと見る限り薪はありませんでした。お仕着せの観光旅行ではあまり発見はありません。