川崎仙台薪ストーブの会:きのこフリーと蚤虱

快晴 ようやく秋らしくなりました。

記憶力の良い人がいるものです。− さんの大好きなキノコだらけのをみつけましたよ、と云われて一瞬戸惑い、家人からしつこい、と云われたくらい「きのこフリーの薪」という言葉を使っていたことを思い出すのに時間がかかりました。
 イザベラ・バードという19世紀の英国女性がいます。明治11年に”Tokiyo(またはYedo)”から”Yezo”まで一人で(正確には日本人通訳を一人つれて)旅し、旅行記(邦訳題は日本奥地紀行(平凡社)とイザベラバードの日本紀行(講談社)−どちらも後述する理由で不満があります)を残した人です。
 一読に値しますがそれより凄いのが民俗学者宮本常一の“イザベラバードの日本奥地紀行を読む(平凡社)”です。如何に本を読むべきかを教えてくれます。逆立ちしても真似できませんが。
 イザベラは宿屋で蚤虱に悩まされたと毎日のように書いています。ところが宮本によれば日本人の紀行文には蚤虱のことは殆どでてこない、それは当時の日本人にとっては当り前のことだから書く必要がなかっただけだとのこと。たしかに芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕もと」も尿前の関という地名にかけたもので特にその日だけ悩まされたからではないでしょう。“記録されていること”より“記録されていないこと”のほうが本質かもしれません。
 「きのこフリーの薪」もそれが珍しかった時のもので、伐倒−搬出−玉切−薪割−格納のシステムがちゃんとまわるようになって当り前になったら言及する必要が無くなりました。
 北側尾根の伐倒木を玉切してひっぱりだこで尾根筋まで持ち上げ。前回で終了したはずでしたがまだまだあるそうです。3日のB作業と14日の例会で野猿による搬出と薪割とともによろしく。
 薪割。真ん中の約一棚ができました。
 国道から見える薪棚No.5用の材料を運びだし、看板をあげる準備をしました。



(訳題について)  原題は”Unbeaten Tracks in Japan”です。著者が強調したいことは”unbeaten(西洋人によって踏破されていない”で、日光から会津田島に向かって旅立つ前日にMy journey will now be entirely over “unbeaten tracks”と書いています。””は私がつけたものですが、日光までは多数の西洋人が訪れているがこれから先は自分が初めてだという高揚感が伝わってきます。