川崎仙台薪ストーブの会:ギフチョウ考

晴 暑さもまずまず

この春ヒメギフチョウを腹帯伐採地で見かけたことに関心をもってくれるひとがいるとのこと。ところで以前からギフチョウという名に胡散臭さを感じていました。私も一度見学したことのある、岐阜市名和昆虫博物館のホームページは「ギフチョウの発見で知られる名和靖によって明治29年に設立された」から始まっています。しかし珍しいといっても駆け出しのアマ昆虫写真マニアがまず狙う定番が「カタクリで吸蜜するギフチョウ」という程度です。明治時代まで知られていなかったはずはなく、実際江戸時代の図譜にも描かれているそうです。で、名和が某年某日岐阜のどこかで「再発見」して命名したという記述もされますが、名和ほどのひとがこんなに目立つ蝶をそれまで知らなかったとは思えません。
 「(名和を知る人は今では少ないが)戦前期の日本においては、全国的に知られた著名な昆虫学者であった(瀬戸口明久:害虫の誕生−虫からみた日本史)。」在野だったそうですから牧野冨太郎の昆虫版と思えば良いのでしょう。ギフチョウは知られてはいたが地方々々でいろいろな名前があり、統一名がなかったことを奇貨として名和がその知名度にものを云わせて郷土の岐阜という名前をつけて全国に広めたというのが真相ではないかと疑り深い私は思っています。与那国島にだけに産する日本最大の蛾の「ヨナクニサン」をはじめ地名がついた昆虫名はいろいろありますが、ほとんど日本全土に棲息するのに地方名がついている例はあまりないのではないでしょうか。

今日のテーマの一つは爆弾低気圧後の出稼ぎで運び込んだ理事長宅付近の桜を薪にすること。22tを運びだした
1日の成果がこの写真の左側。でもまだまだ沢山残っています。

第二のテーマが伐採地の薪棚から「ショウルーム的薪棚」への運搬。まずA-TANAに残っていた薪をB-TANAの空きスペースに移して一杯にし(乾燥しているので軽かった)、伐採地からの薪をA-TANAに(雨で濡れていて重かった)。軽トラ5台だったでしょうか。4列半です。

第三のテーマは理事長宅裏の今は使われていない薪棚を伐採地に移すことだったのですが − 待てど暮らせど来ませんでした。軽トラが田んぼにはまってチルホールを探しまわってなんとか脱出させたとのこと。その間また倒れた棚を積み直したり、裏に放置されていた80cmのサクラやコナラを発見して積んでみたり。私にとっては薪をバケツリレーばかりしていた一日でした。