シチリア薪事情

女房孝行にその仲間と南伊はシチリア旅行と洒落こみました。イタリアで必要な言葉はビラ(ビール)とヴィーノ(ワイン)ということを覚えました。この二つさえ知っていれば飢え死にしません。

 ロビーに暖炉があるホテルもあり、煙突のついた家も時々見かけましたが何と肝心の薪にできるような木はほとんど見あたりません。ブドウやオリーブの畑は点在していますがそれ以外は下の写真のように灌木がまばらに生えているだけの石灰岩の荒れ地です。一日だけガイドを頼んだ現地在住の日本人に「薪はどうするのか?」と聞いてみたら「どこからかくるのでしょう。北のほうには山も林もありますよ。」というつれない返事が戻ってきました。まあ、石油文明にどっぷりと浸った現代では薪がどこからくるかなどとは考えてもみないのが普通の人でしょう。

自動車文明が発達した現代のホテルのロビーの暖炉用薪ならあり得るかもしれませんが、100年前までは煮焚きから何から薪が殆ど唯一のエネルギー源だったはずです。何十kmも先から運んできたとは思えません。一体どうしたんでしょうね?

 地中海交易の中心だったシチリアでは至るところ古代の神殿の跡の石造りの列柱やその残骸が残っています。考古学博物館で復元模型を見ると棟木や梁は木で、その上に瓦を載せていたようです。ということは当時は大神殿の梁に使えるような大木が生えていたはずです。気候の変動か人為のなせるわざか。