ロープウェイ式集材

快晴 仙台の最高気温は27.8℃だったとのこと。夏です。クリの花が目立つ季節になりました。

 楽しい一日を過ごし、良い汗をかきました。というのには少し嘘があり、本当に仕事をしたのは約1名で、他の5人は眺めているだけの時間が長かったのでそれほど汗はかきませんでした。

 今日の作業は「軽架線と集材機を使ったロープウェイ式玉切材運搬法のテスト」とでも呼べばよいのでしょうか。とても文章で説明できるものではありませんし、写真でも全貌をお伝えすることはできませんのでどんなものかは昨年10月30日に紹介した森林伐採手法http://www.wood.co.jp/shinrinbassai/index.html「伝統伐採 忘れられた修羅」の中の「小型集材機の発明」の項をご覧下さい。昭和30年代に出現したこの方法は「それまでの作業方法を一変させ、- - 危険な木場曳き - - 等一切を省き、- - 小型集材機は林業の主役になった」そうです。これがどんなに革命的な技術であったかは「古来からの森林伐採手法」について書いたこの本が集材機の登場で終わっていることからも解ります。私が山麓でトラックの運転台を見たのは昭和30年代後半ですから、当時最新式の手法だったわけです。

 滑車(業界ではキンシャ金車と呼ぶそうです。単に方向を変えるためだけに使うからかも)をいくつか取付け、10mm(荷重を支える)と7mm(引張る)の2本のワイヤを張り、6月5日に紹介した集材機のウインチでワイヤを引っ張ります。左の写真の中央付近に空中を集積場に向かう空の赤いキャリア(キャレージ)が見え、その右下で集材機を操作しています。

 下の写真はキャリアが集積所を出発するところと悠々と飛行中のもの。今日はキャリアには人力で玉切り材を載せましたが、将来的にはそれも動力化されるとのことです。キャリアの速度は長町の某高級レストランの名前のように「ビスターリ(ゆっくり)」ですが、人力で運ぶこととは比較にならないほど楽ですし、時間的にもずっと効率的でしょう。この成功で帰ってからのビールのおいしいこと。 
 薪の会の集材も縄文時代(人力がすべて)から釣瓶式野猿を経て昭和30年代まで進化してきました。

 最後の写真は参加できなかった6月の例会とB作業の日に作られた「ショウルーム的薪棚」の現在です。