自然発生的B作業と地震予知について

快晴 仙台ではかなりの風が吹いたとのことだが腹帯ではほとんど無風

 “15日入山します”というog氏の呟き(twitterではありませんが)で6人集まり、自然発生的な薪の会の”B(会のためにする)作業”の日になりました。いつも通り玉切り、薪割り、薪積み。“釣瓶式矢猿”(手前にプーリーが見えます)着地点付近に積み上げた、南斜面尾根から下した材がすべて割られて薪になりました。"どうせこれまで通りほおっておかれて質が落ち、そのうちタダになるだろうからその時貰いに来ます" とふんでいた某氏、そうは問屋がおろしません。写真には昨日曜の例会で作ったという薪小屋の屋根の骨組みが一部見えます。天候に恵まれ、気持よい汗をかくことができました。

   
休憩時間の話題は当然地震が主になり、予知の話もでましたが、地震予知とは一体何の意味があるのかと私は常々思っています。私はお天気を100%予知できます。雨が降っていたら近いうち晴れるよ、晴れていたらそのうち降ってくるよ、ではずれることは絶対ありません。地震予知とはそれ以上ではないような気がします。

もう一度読んでから処分しようなどとつい思ってしまうので、本の整理がはかどりません。これもそんな本のひとつでした。タイトルは「迫りくる東京大震災」、サブタイトルは「世界を変える60秒」とでも訳せばよいのでしょうか。

 書かれたのは約20年前の1990年、著者は英国人科学ジャーナリストです。1923年(大正12年)の関東大震災から筆を起こし、前半は地震学者と官庁・企業の防災担当者へのインタビューにあてられています。どの地震学者もプレートテクトニクス説が教える東海大地震安政江戸地震以来おこっていない局所的な東京直下型地震が今世紀(勿論二十世紀です)中に起きる可能性大と予測していますし、防災担当者は誰もが充分対策を講じてあるから大丈夫と云っていると皮肉たっぷりに紹介しています。

 後半は”Big One”が来たとき何が起こったか、です。書かれたのはバブルがまさにはじけようとし、東京の山手線内の地価で米国全土が買えるなどと云われた時代です。世界の十大銀行の中に日本の銀行7行が入っているとか、日本人が海外の不動産や絵画などを買いまくっているとかがいろいろ書かれたあと、ある日の朝(日本時間の夕方)、ロンドンの証券取引所に東京でM6.9の直下型地震が起こったという報道が入ったというシーンから始まるのですが - - - あとは余り面白くはありません。奇想天外のフィクションでもなければ想像もつかないことが実際におこったことを報じるドキュメンタリーでもないのですので。建物の崩壊や火事で多数の死者がでたなどというのは当然ですが、1ドル152.35円!から160.45円に下がったとか、米国債を日本が買わなくなって米国が困ったとか、- - 良かったのか悪かったのか分かりませんが、バブル時代の日本経済の存在感だけは分ります。そして最後は現実の問題として一極集中した首都圏が如何に地震に弱いかという話になります。

 この本を読みなおしてみて、ただひとつ確かなのは20年前の地震学者の予測は完全にはずれていることです。今後いつかは東京にどちらかのタイプの地震が起こるでしょうが、予知という点に関しては晴れているからいまに雨が降るよ、というのが当たるのと何の違いもないのではないでしょうか。 

 Robert Gellerという、米国人で東大教授の地震学者がいます。その人が英国の科学雑誌Natureの4月28日号に「現在の学問レベルでは地震を予知することなどできるわけがない。日本中どこでもいつ地震が起こるかわからないということを日本政府は国民に周知徹底すべきであって、東海地震だけは予測可能だと国民を惑わせながら巨費を投じ続けるのはナンセンスである」という趣旨の投書をしています。下図を示して1979年(宮城沖の地震の翌年)以降10人以上の死者がでた地震震源はすべて危険度が低いとされていた地域で起ったと指摘し、地震予測などを信用してはいけない、万一に備える、”prepare for the unexpected” しかない、と力説しています。私はそれが正しいと思います。

 今回の大震災に遭遇して人生設計を変えることにしました。生れ育ちは東京で現在子供達も首都圏在住なので、雪かきか車の運転ができなくなったら東京付近に移住するつもりでいたのですが、やめようと思います。いつかは東京にも大地震がくるのは晴れていたら雨になるのと同様確実です。東京の狭い老人向けマンションでは天水桶は準備できないし、薪ストーブも楽しめないでしょうから。