川崎仙台薪ストーブの会:まきとたきぎ

曇 ほぼ無風 14名 数は力、です。

中国文学の高島俊男氏が書いています。書評で「人ひとりを灰にするには驚くほどの薪が必要であった」という文章を引用したら、編集者が無断で「まき」とルビをふって印刷してしまった。「たきぎ」のほうが適切だと自分は思うが、正しいのは著者の考えであり、問題は勝手に他人の文章に手を入れて当然と思う編集者の意識にある(*後注)。


大震災後、3日目にようやく見られるようになったTVで一番感動したのは辛うじて高台に難を逃れた人達が焚火で暖をとっている映像でした。どうやって火をつけたのでしょう。流された家の一部であれ流木であれ、皆しっかり濡れていたはずです。自分がひとりあの状況に置かれたとしたら火をたけたとは思えません。それはともかく、あの人たちが燃していたのは「まき」ではなく「たきぎ」でしょうね。写真は3年前を思い出して同じ場所で焚火をした人を報じた12日のTV画面です。ぼけていますが「たき火囲んで語り合う」となんとか読めます。

「まき」はストーブなりへっついなりで燃し易いように適当な長さに切ったり割ったりしたもの、「たきぎ」は燃せるものなら何でも、という語感でしょうか。我が会は「まきストーブの会」でどこからも故障はでないでしょうね。


先週の月例会での雪かきのお陰で広場の雪はこんな感じ。手前は毎春恒例となってしまったクローラの不具合を直しているところです。隠れているのは除雪に活躍したMM製作所製の橇(挿入図)。


峠のテントも玉切材も雪から掘出して(雪は掘るもの、でした)ジグザグ架線で搬出。トランシーバーがないのは不便でした。



伐倒、薪割りといつものルーチン。南向き斜面の雪は消えています。

春窮(http://d.hatena.ne.jp/saruhanatree/20120307/1331122760)の季節です。今日は「薪で清算」の人が多かったように思います。うまくミックスすれば生木だってよく燃えます。我家はいつも不精をしたい時には生木を燃しています。もちがよいもので。

(*)編集者の傲岸不遜な態度は古今変わらないようです。先日取り上げた鈴木牧之は地方人であるがため北越雪譜を世に出すのに大変苦労し、頼りにしていた江戸表の山東京伝が死去したのでその弟京山(戯作者として一応の名はあるとのこと)の刪定(添削・修正)という形で出版したので、当然のこととして京山が解説をつけて(実はもっと余計に手も口もだしたらしい)いますが、そのつまらないこと!何十年もかかってようやく出版にこぎつけたのに(しかもおそらく大枚の謝礼を払って)あんなゴミをつけ加えさせられた牧之の胸中が思い量られます。