川崎仙台薪ストーブの会:三島学園に出稼ぎ

曇り “爆弾低気圧接近”の予報でしたが結局天気は持ちました 

三島学園(学校名は正式には東北生活文化大学および東北生活文化大学高等学校と云うらしい。長い名前です。)に出稼ぎ。住所は泉区虹の丘1丁目で、北環を折立から八乙女に向かって加茂1丁目の交叉点(私的には右側にやまやがある信号のひとつ前)を右折、三つ目、右側に生協がある信号を左折、大学敷地の角を右折した角、地図の黒丸のところです。現場の少し手前に駐車場があります。

 私が最初に仙台に来たのは1971年ですが、その頃三島学園は今の市民病院の敷地に、宮城学院もSS30の場所にありました。片平キャンパスを歩く三島や宮城の女子高生たちを学生のM君がこそこそと時々(もしかするとしょっちゅう)実験用のレンズを組合わせた即席望遠鏡で覗いていました。
 今は三島も宮城も郊外、東北大生も殆どが川内か青葉山、そしてM君は某大学の長老教授です。見られていた彼女らもいいオバサン−それは云いっこなし。

 こんな垂れ幕があるとプロの気分になります。でもTBMって何?KYは“空気が読めない”ではなく“危険予知”だろうと見当がつきますが。ネットで調べるとTool Box Meetingの略(acronym)だそうです。道具箱に腰をかけての少人数での話合いが語源だそうですが − 日本語を使おうよ。

作業風景です。この調子ならあと一日くらいで終わるかと思ったのですが、なんと反対側に伐倒すべき樹がまだ20本近くあるとか。お金は簡単には稼げません。
近くなのでお昼ご飯は自宅に戻り−案の定ビールを飲んでしまい今日は終わり。薪割をして午後を過ごしました。