システムの完成

晴 無風 これがなにより

 2011年は3/11で12/8の1941年や8/15の1945年と共に記憶される歳になるでしょう。

 その2011年の最後のB作業はプリウスの救助から。浄水場への坂道は薪の会会員にとって鬼門で、知る限りでもこれで3台め。実は2台めは私でした。でも10 名の力は偉大で“よいしょ”でOK。 そしてお昼は芋煮。“寒いから芋煮をしましょう”というlumberjackclubへの書込みに必要量の3倍くらいの食材が集まり、楽しく美味しく充分に頂きました。何とか全員の顔が入る写真が撮れました。食材をお持ち下さった方、調理をして下さった方、有難うございました。 

 今年の掉尾を飾る今日の成果は「伐倒−平地への搬出−玉切−薪割−薪小屋への運搬−薪積」のシークエンスを組織的に、過酷な肉体労働は最小限として行うシステムがようやく完成したと云えることでしょう。今日やった主なことは

①23日に“ひっぱりだこ”でおろした伐倒材を水平移動して軽架線の近くまでもっていき(図参照)、
②集材機の動力と軽架線を利用して伐倒木を広場に搬出
③それを玉切して薪小屋近くへ運搬(第一の橋付近に集積された玉切材も)
④薪棚近くで薪割して薪積み

でした。どんどん作業が進みます。

 集材機とひっぱりだこと薪割機2台、そしてクローラのお陰で伐倒後時間をおかず平地に搬出、玉切して最終製品の薪を作るシステムがひと通りできました。平地での玉切は作業を容易にするばかりでなく薪のサイズの標準化に貢献します。販売を真面目に考えるならこれは大変重要なことです。

重いチェーンソーを担いで上に登って邪魔な枝葉を整理し、伐倒木にワイヤをかける「伐倒木処理人」には相変わらず過酷な3K作業を強いますが、全体としては急斜面で玉切して皆ですべて手作業で運び出した以前とは比べものにならないほどの効率化です。

サクラを発見。では長いままナメコを植菌して2年後のlumberjackclubの芋煮会で舌鼓をうとうではないかと適地に搬送。まさに「遊び、遊び」の世界ですが、2年後はどうなるのかな?古人も云っています。「明年花開いて復た誰かある」